認めてくれる病棟と認めてくれない病棟
僕は今までバイトも含めれば、それなりにたくさんの病院の精神科に勤めてきた。医者にとっても患者さんにとっても、病院毎に環境が違うのは当たり前で、建物の作りやその古さ・清潔さ、病院の経営方針、歴史、院長の人柄などで雰囲気が全然違う。慢性期の患者さんが多い病院では、住人化している患者さんの個性によっても雰囲気が変わるだろう。
しかし、同じ病院(=同じ建物内)でも、病棟によって全然雰囲気が違うことがある。「1病棟は急性期、2病棟は慢性期」といった感じなら、機能も医療スタッフの数も患者層も違うのは分かる。ところが「A病棟もB病棟も急性期」、だけど全然雰囲気が違う、ということがある。ここでいう雰囲気とは「患者さんにとっての居心地」みたいなものだ。
ある患者さんがこう言った。
「先生、今の病棟では、私の解離を認めてくれないんです」
つまり、以前入院したA病棟では、解離が生じたら、スタッフは解離したなりの対応をしてくれた。別人格が出現したら、その人格と話をしようとしてくれた。しかし、今度入院したB病棟では、解離したら全く相手をしてくれない。解離がおさまってからでないと話を聞いてくれないというのである。
この話はいろいろ突っ込みどころがあると思うが、細かいことは流してほしい(解離してるのに「相手をしてくれない」ことを覚えてるんかい!とか…)。
この患者さんへの対応のように、同じ病院内でも、病棟が違えば文化が違う、というようなことはたまにみられる。僕はどちらかというとA病棟側の人間だが、B病棟のやり方も理解できる部分はある。どちらの方針(文化)も一長一短なのだが、やはり患者さんは混乱すると思う。「世の中矛盾だらけ、これも理不尽な社会で生きていくための修行だ」とでも考えてくれればありがたいのだが、そんな余裕のある人はあまり精神科に入院しない。
*解離:強いストレスに対して、意識を飛ばしてやりすごす原始的な防衛手段。解離性障害は、その解離が自動的に頻発して困ってしまう状態。
行き着く先
最初の記事でも書いたのだが、妻が実家に帰り、一人で過ごすことになった。既婚者なら共感してくれると思うが、なんとなく独身に帰ったような気楽な気分になって、心がふわふわする。
食事だって、いつ、何を食べてもいいのだ。
少し早めの昼食をと思って、小雨が降る中、近くのコメダ珈琲に車で行ったら、駐車場がいっぱいでそのまま引き返す羽目になった。雨がやんだので、そのまま歩いて駅前まで散歩してみた。
前から行ってみたかった喫茶店をチラチラみながら、結局モスバーガーに入った。思えば僕は若いころから、一人で街を徘徊しては行き場をなくし、その街のモスバーガーに入って本を読んでいたものだ。あの時と同じように、バーガーを食べて飲み物を飲みながら本を読み、たまに周囲の観察をする。この行動がなんともしっくりくる。ああ、そうだった、自分てこういう人間だった。いかにこの数年間、仕事と家庭のことばかり考えていたかよく分かる。
それはそうと、モスのサラダはおいしい。野菜自体もシャキシャキとしておいしいし、ドレッシングがまた抜群においしいと思う。原材料をみても何が秘訣かよくわからない。